“学校”の価値②

こんにちは!ゆるとろです( ˘ω˘ )
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たまーに毒舌を交えながら
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ぜひゆるゆるリラックスして読んでいってくださいね^^


前回に引き続き、”学校”についてパート2です!

パート1では「学校は勉強以外いらないんじゃない?」って書きました。
ええ。女に二言はありませんとも。

でも、じゃあ学校はなくして塾でいいんじゃない?
とか、全員オンラインでいいんじゃない?

って声もあがってきそうですが。

今回は学校のもうひとつの側面だと思っていることについてお話したいと思います。

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■学校は人と人との関わり方を教えてくれる場

よく聞きますね、これ。


そういう場が必要なのは私も理解しています。

“親子”や”家庭”だけではかなり偏った思想の子ばかりになってしまうし、
社会に出た時に周りのことが考えられない人はすぐに働けなくなるでしょう。

「え?でも学校は勉強以外させるなって言ったよね?」

って思われるかもしれないんですが、そこは私も間違ってないです。

私は学校を2部制にしたらいいのになって思ってます。

もっというと、午前中は勉強に行き、午後は人との関わりを学ぶ。
あるいは曜日ごとに分ける、そんな形でもいいと思ってます。

とりあえず、机に向かってカリカリお勉強をしに行く場とは完全に分けたらいいと思ってます。

日本では”義務教育”って等しく教育を受けることが決まっていますよね。
でもそれを

同じ施設で
1年間同じ先生から
同じメンバーと一緒に

なんて決まってないじゃないですか。

それなのに、なぜこんなにオンラインでなんでもできる時代に昔からの方法をそのまま続けているんでしょうか。

学校は担任制にせず、塾のように自分の好きな先生を選べるとか、
すっごい分かりやすい先生の授業を録画して、各々がPC上で再生する、
とかでもいいと思う。

自分で躓きそうになったところをもう1度見直したり、どうしても分からない箇所があれば質問しにいける環境があれば良いのでは。


では”人と人との関わり…”、のような情緒教育面のお話はというと、アートやスポーツなど、机に向かってカリカリするお勉強とは全く違うメンバーで、全く別の施設で、午後から、なんなら違う曜日とかにしてもいいのでは?

わざわざ授業が遅れをとっているのに「全校行事だから」で合間に運動会の練習を挟んだりとかしなくていいじゃん。
そしてアートやスポーツこそ情緒教育の(集団で協力して物事を達成する、周囲に働きかける力や他人を気にかける力、を養える)絶好の機会だと思う。


ちょっと脱線するけど、アートやスポーツって本来、点数をつけるものじゃないですよね。
暗記科目と同じ基準で評価されているのが、ずっと不思議です。

話は戻るけど…お勉強にしろ情緒教育にしろ、最初から選択制にすると好き嫌いで判断しちゃうから、小学校低学年くらいまでは色々試してから、それ以降は自分の”好き”や”得意”を伸ばしたらいいのでは、って思う。



ここで大事なのは
『必ず一通り、ある程度深くまで経験してみること』
なのかな。

そうすると義務教育の理念からも外れていかないのでは。


そもそも学校の前身って寺子屋とかそんなかんじだと認識しているんですが、
その当時って学問を教える人が少なかったんだと思うのね。
だから同じ部屋でたくさんの生徒に対して先生ひとりで教えてたんだと思う

そんな時代と一緒の教育方法だと合わなくなって当然じゃない?


大学に進学して専門的な分野を極めて社会に貢献するか
アートやスポーツなどの感性や身体を使い社会に貢献するか

これなら今よりもずっと個を尊重していけると思う。

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■学校に求めるもの

私は学校が万能である必要はないと思っています。


勉強をする場所
人と関われる場所
守られる場所

それぞれが別であってもいいんじゃないでしょうか。
むしろ別だからこそ救われる子もいるのでは?


今の学校はすべてを一つのハコに詰め込みすぎて、ほとんどの人にフィットしなくなってきていると思います。


学校を否定したいわけじゃない。
でも「変えてもいい」と思える社会であってほしい。


勉強が得意な子も
集団が苦手な子も
どこかで必ず居場所がある。


そんな”学校”のような場が当たり前にあるべき未来になったらいいなと思っています。

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